がんばってます

眠気

眠い。今は体内時計がどうとか、脳を休めるとかよりも、世の中から逃げるために眠気を感じていると言われた方がしっくりくる。こういう思考に至ってしまっている時、布団に入って横になっていると昔の幸せだった記憶を思い出す。

四歳とか五歳の頃、体が弱くて度々保育園を休んでいた。そうしたときには、母の勤め先でもある祖母の自宅兼喫茶店(夜はスナックをしている)に行く。そうすると、大げさに布団を二三枚かぶせてくれて、家では見ることが出来ないキッズステーションやらアニマックスやらを見ることができた。外には海が広がっていて、窓を開ければ気持の良い風が部屋に入ってくる。そうしてふかふかの毛布にくるまれて、アニメやらを観たり、置いてあったクレヨンと画用紙で絵を描いたりした。このように過ごした時だけは、自分を在の侭に受け入れることが出来た。母も祖母も仕事をしているから誰かが付きっ切りというわけではない。それは自分にとってかなり都合が好くて、一人でその時間を楽しむことが出来たのは大きかった。当時、母も保育園の他の園児も、保育園のお姉さんも全て自分を攻撃する対象としか見ていなかった。もちろん娘とか友達とか園児として皆と仲良くしていたし、関係が悪い訳ではなかった。けれど、太宰の云う、牛が眠りつつ虻を尻尾で打ち殺すような、そんな人間の潜在的残酷さ、無知さ、自己愛、放縦さに対して常に恐怖を抱いていた。人間初めての社会生活を、毎日毎日傷つかれないように、他人の機嫌を損ねないように、ちゃんと自分を弁えられるように気を張って過ごすことは、小さい身体に対してあまりにも辛いものであった。だから、この時間は、布団に入っている間はこの上ない幸せであった。楽園とか天国とかではなくて、捨て猫が段ボールから屋根の下に入れたような、そういう幸せを感じた。自分が今もブランケット症候群気味なのはこの時が原因だろう。布団に入ると、やけに大きい身体だなあ、と思う。