プライドが高い人間が、あの人はプライドが高いと言っているのを見て、不思議だなと思った。
俺はアイツを分かってる、と言っている。
しかし、プライドが高い人の評価は案外合っていたりする。
色んなことで予測や立ち回りや雰囲気を考えて、それでその考えは大体正しかったりする。
だがそれでもプライドが高い人間は嫌いだ。その考えで人の弱さを見て、そこに漬け入ってる。
自分の正しさを誇示しようとしているが、誇示自体に孕んでいる暴力性を考慮していない。それを見て私は苦しくなる。
私は賢くて悲しさを知っていて戯けている人が好きだ。他者に抗えない人の最後の手段として、面白いことばかり言う人は、本当に好きだ。誰も傷つけたくなくて戯けているのならもう本当にこれ以上無いと思う。
気が遣える、ということのコンテクストがまるで違う気がする。自己肯定感などという言葉の所為なのか、気が遣える自分凄い!などと自己を形容することになんの疑いも持たないことが普通になっている。自分じゃない人間と関わることに何の悲しみも、憂いも、寂しさも抱いていないから、そんなことを無邪気に言えるのだろう。気を遣うということは、自然に在るものではないのかと、そういう気持を持っている。