がんばってます

私の常

この感情は例えるなら、花屋で綺麗な花を買って帰るのと同じ気持だ。でもそれは正しい感情であったり、明るく美しい気分のことではない。高揚しながら花束を買って、家に飾っていても、いずれ枯れてゴミ箱に捨てる、その高揚が嘘だったかのように淡々と枯れた花を見て、見切りをつけてゴミ箱に捨て、その後も沈着して直ぐに他のことをしている様が厭で、恐ろしくて、造花を飾っていた方が遥かにマシだと思う。でもそれでも、それなのに買ってしまった時、のような気持のことである。

でもそれが人間の営みでそれを受容できない奴はある意味気がおかしい、ということも知っている、でもどうしてもその方がおかしいと思ってしまう。

ペットだって、死に際したら立ち直れないと思ってしまうし、もし立ち直れたとしても立ち直った自分を冷徹で心がない奴だと自責や自嘲してしまうし、それが間違っていることも知っているからそうするのが厭で、YouTubeで動画を見ていた方が良いと思ってしまう。

そういう感情を他者の心に対しても差し向けてしまう。

いずれは枯れて、死んでしまうなら、好きだった頃の気持も忘れて淡々と疎遠になるなら、どうして最初から好きになろうと、仲良くなろうとしようか。結局は恐れだ。自分から離れていくことに対するものと、自己嫌悪することに対しての。でもせずにはいられないのだ。人間は恐怖によってのみ動くのではないかとすら思ってしまう。

でも、どこかで、頼っても良いのだろうか、、とも思っている。

否駄目だ、

どうすれば良いのだろう