がんばってます

実像虚像

リアルで会う人は、ブログやツイッターを偽っていると思っているかも知れない。それは実際の私は剽軽なお調子者だからだ。常にふざけたことばかり言っているし、それを皆笑ってくれている。だから私の現実世界で会う人の実像は戯けた姿である。

しかし一方で、ネットで会う人は、リアルの私やインスタでの私を偽っていると思うかもしれない。それはネットの私は陰惨と自己欺瞞に悩む精神の虚弱な大学生だからだ。常に頭の中の思考、思想のことばかり言っているし、それを幸せなことに皆受け入れてくれている。だから私のネットで交流のある人の実像は神経衰弱した変人の姿である。

でもどちらが正しい、本当などというのは私にとってはナンセンスであると今ここに言わねばならない。何故ならどちらも正しくて本当であることを認めようとせず、どちらかに決めたい、決めるべきだという風潮が世間にみえるからである。日本人の同質性はよく言われ、それを表す言葉に「空気を読む」という言葉があるが、これは同質性ということ以上に相手や立場によって上手く自己変容させてきた日本人の姿を私たちに見せてくれる。誰にでも自己変容の一面があるのだ。でもどちらかの自分の方がラクだな、とかそういう意味で「本当」としているのだということも知っている。でも、私にはどちらの自分もラクではない。これまで私は常にどちらが正しいのか考えてきた、でも、それは無意味であった。それは前述したようにどちらも正しいからである。以前は、物心つくときには、どちらかが演技であったのだろうけれど、もう分からないし、分かるのが怖いから知りたくない。その意味では嘘なのかもしれないけれど、「嘘も百回言えば真実となる」である。内に秘匿した自分をあえて「本当」とするならば、それはリアルにもネットにもなくて、「本当の愛」などと云われるものによって見えるのかもしれない、

しらんけど!