がんばってます

文字

一つ前の記事で触れることと淋しさについて書いたのですが、文字はどうでしょう。読むということは即ち見ることとも言えるのかもしれないし、今の時代スマホ片手に読んでいるのでしょうからその点で言えば触れているのかもしれないですけれど、

昨日認知と思考の混ざり合った極度が文字世界であるという話をTwitterのスペースで聞きました。全く同意しかないです。語弊を恐れずにいうならば、答えは既に在って、例えば文字を読んでいて何だか心が動かされる、うまく言葉には出来ないけれど、という体験を人間ならば誰しもがしたことのあるはずで、それを必死で言語化しようとしているのが人文学というものです。それはそこに在るのですから、絶対に必要なのです。そこに人間のそれたらしめているものがあるのです。だから、触れられないことの淋しさを打破できる唯一のものが文字であると、というか文学、詩歌、そういう文脈での文字であると思います。歌を聴いたり、詩歌を詠んだり、読書をしたり、、『古今和歌集』仮名序を日本国民が常識のように知っていて欲しい…、その精神性、、

話が逸れましたし、しかもこれから突拍子もない事を言いますけど、だから文通は良いのです。慰みになって、精神を豊かにしてくれる。人生の、内面の余白。戯れ。遊び。

実は文通相手が最近見つかったのでそれが嬉しいということとその憂いを色んなものに包んでつらつらと書いていました。ここまでバレなかったのなら嬉しいです。