がんばってます

距離

距離を置きたい。仲良くなろうとして良いことがたったの一つもない。友達と思って近付いたら赤の他人がいた、近所の犬が可愛くて撫でようと寄っていったら噛みつかれた、そのような「遠くから見れば綺麗に見える」を最近は体現している。「男」と「女」という性の間には漸近すべき宿命、そう云う数値が定められていて、それは指数関数的に近づいている、ただ漸近の宿命上、そうするだけで交差をすることはない、という日常の連続だ。そうしている間にも本物は私から離れてく。自分が好きなのは、本物だけなのに。「男」というのは紛い者である。「女」を見ているだけであるから。中身などどうでも良くて「男」を満たす「女」が隣にいれば良いと思っている。(最近のジェンダー観から見ればかなり良くないことを言っているのだろうが、そういうことを言いたいのではない)そこにトラジェディとか煙草等が加われば「エモい」などと持て囃されて。しかし自分のお道化はそれを嫌っているにも関わらずさらにそれを囃し立てて気持ち良くさせている。やはり自分は偽物だ。真実性とか本物性とかはロックやお笑いなどにおいて重要視されている概念と思うけれど、自分もこれをかなり信奉している。本物に見初められる、このような夢想に耽って、、

 

、、一応説明しておくと記号的な男性性、女性性という話で、男、あるいは女という性別を持つものは、という話をしているのではない。

 

でも、このように云っても距離を近くした、させたのは他の誰でもなく自分なのである。その事実から目を背けてはならない。死ねば楽になる。