がんばってます

私は何者なのか

私は、母親に愛情を貰ったのだろうか。

不機嫌な母親の顔、煙草を吸ってる母親の顔、テレビを見ながらビールを飲んでる母親の顔はたくさん見てきたのに、私を見つめている母親の顔はあまり思い出せない。

私は母に頭を撫でられたり、抱きしめられたことがあまりない。

小さい頃の記憶は、私が泣いて、母親がヒステリックになった、というものばかりだ。私は髪を母親にドライヤーで乾かしてもらったことがない。家には母親用のブラシ型のドライヤーしかなく、一般的なドライヤーはうちにはなかった。だから濡れた髪でそのまま寝ていた。それで翌日には髪は当然ボサボサなのだが、それを怒りながら無理やり櫛で通そうとする。それが本当にとても痛くて毎回泣いていた。絡まった髪がくしゃくしゃになっていて、それを無理矢理通そうとするからまた固く団子状になる。それをさらに引っ張るからいよいよ髪がこのまま頭皮と一緒に抜けてしまうんじゃないかというくらいに思いっきり張り詰める。我慢してと言われるが、母親に何度も何度も思いっきり髪を引っ張られているのと同じであるから、涙が出てきてしまうのだ。そうすると、そんなことで泣くなとまた怒られるのである。自分はどうしたら良いのか分からなかった。思い出のマーニーに同じようなことを言っているシーンがあるが、本当にアレは、苦痛でしかないことを私は知っている。

同じように私は歯磨きとかを親と一緒にやったこともない。しつけを基本的にされていない。ワクチンとかも打ってない。日本脳炎のワクチンを二十歳になってようやく打った。血液型も分からなかった。高校に入学する時の大事な書類に私の誕生日を間違って記入していて呼び出された。

小さい頃エレクトーンを習っていた。間違えると最初からやり直してしまって、母親がどうしてそんな練習しか出来ないの!何で出来ないの!と言って怒鳴り散らかされていた。エレクトーンのことは嫌いになって辞めてしまった。辞めた時のことは出来るだけ思い出したくない。

私の母親は私と出掛けて目を話した隙に居なくなるのが面倒くさくて、車によく私を置いていった。車の中で一人で泣きながら帰りを待ってた。怒られるからお母さんが来たら涙を拭いて何事もなかったかのように良い子に待ってたよと言っていた。ある日それで車の中で眠ってしまった。起きたら真っ暗な車の中だった。置いていかれたんだ、一瞬でそのことが分かってそのまま悲しくてずっと泣いていた。泣き疲れて、ここがどこか窓から見ることにした。家の駐車場だった。本当に悲しかった。家に着いたのに車の中。母親に何で置いていったのか聞いたら気持ち良さそうに寝てたからと言われた。

3歳くらいの時に、はじめてのおつかい的な感じで煙草を買いに行かされた。でも煙草のことを「ぷかー」と呼んでいたので当然買うことは出来なかった。店員さんに「ぷかーひとつください」と言ったけど、「???」という反応をされた。どうして伝わらないのか分かんないけど、とりあえず大変なことになったと思って帰ってきたら、笑っていた。

小学校中学年くらいの時に、母親がゲーム依存になった。家のことを全くしなくなった。それ以前も家は割と汚い方だったが、本当にダメになった。家中埃まみれで布団は敷きっぱなしだった。おふくろの味はすき家どん兵衛のきつねうどんとほっともっとのお弁当と祖母の喫茶店の余り物。夜中までゲームをして、不機嫌に朝起きてスライスチーズだけ乗せたトーストか、冷蔵庫からそのまま出したハムと白米を出してまた眠った。休日は昼過ぎまで眠っていて、お腹が空いたというと怒られた。母親は祖母の喫茶店が働き先なのだが、そこでもずっとゲームをしていたらしい。学校から帰って、話しかけても全部「うん」。質問しても「うん」。テストで100点取ったらゲームのソフトを買って欲しいと頼んだら「うん」と言ったから、テスト頑張って100点を取った。それを伝えたら、忘れたと言われた。学校の帰り道友達にそれを相談してたら、いつのまにか泣いていた。両親がそのことで喧嘩して、母親が泣きながらブチギレて家を出ていった。母親が泣くことは殆どないから本当に驚いた。父親は俺は悪くないと言っていた。

中学生の時に虐められた。誰にも助けを求められなくて自分には自傷行為しか無かった。でもその内母親に自傷行為がバレた。発狂した。お前より不幸な人は沢山いる、嘘をつくな、愛しているのに裏切られた、被害妄想、と言われた。本当に虐められていたし、食事も全然取れなくて、野菜だけじゃなくて本当に全然食べれなかったのにそれに気付くことは無かった。虐められている証拠を出しても信じてくれなかった。娘が弱いキチガイだと認めたくないようだった。精神科に行きたかったのに最後まで連れて行ってくれなかった。トイレや脱衣所で座っているとお前はまた被害妄想しているのかとまた長い間発狂して責められた。

私の卒業式、入学式、授業参観など殆ど来なかった。私に基本的に興味がなかった。でも母親に彼氏を紹介しなかったら飯塚家の恥だと言われた。

大学に行ってからは、帰るたび月給の何割を家に入れて何年後には何万円でそのお金でどこどこへ行って、みたいな話ばかりされた。とにかく公務員になれと言われた。

自分で大学生活を送るのが厳しくなって、精神科に電話したけどたらい回しにされて、結局大学に相談した。でも最後には精神科に行くことになって、親にちらっと「忘れっぽくって病院に行った」という話をしたらまたパニックになって、病気じゃない、薬を飲むなと言われ、親戚中から電話がかかってきた。

父親はイライラするとモノに当たるタイプだった。大声を出しながら床や壁を殴っていた。飲み会によく行っていて夜はいない日もしばしばあった。だからそういう日はご飯は一人で食べる。でも父がいる日は二人で食べた。母親は一緒に夜ご飯を食べなかった。一人で別の時間にビールを飲んでいたから。そっちの方が幸せなんだろう。

私が学校に行きたくなくて泣きながら親に相談したら、後日それを茶化しながらモノマネして私に見せてきた。

小さい頃は泣くまでこちょばされ続けた。どんなに抵抗しても、やめてと言ってもやめてくれなかった。それで泣いたら不機嫌になった。これはトラウマみたいになっていて今でもその悪夢を見る。

それでこれは大学生になってから分かったことだが、飲み会の金を借金で作っていたらしく、150万アコムに払っていた。私が歯の矯正したいと言ったらそんなお金は無いと言っていたのに。大学院行けないのもお金なかったからなのに。俺が稼いだお金なんだから俺の勝手だろと言っていた。

でも楽しいこともあった。保育園の頃はディズニーに連れて行ったもらったりしたし(でも私がアトラクションで泣くから連れていってもらえなくなったけど)、旅行にはよく行っていた。誕生日やクリスマスも祝ってくれたし、その時には母親が優しくしてくれたりした。しかし、基本的に家計を助けるような行い(塾に行かない、国公立を選ぶなど)でないと私を褒めてくれなかった。何もない時に優しくしてくれたりとかは無い。私に興味がない。高校の時、酔っ払った母親に出来ちゃった結婚なんだよねwと言われた時、納得が行った。多分父とワンナイトして出来たのが私だと思う。付き合ってた時代の写真がないから。母親が酔っ払っていつも私は一番を選べない、一番好きだった人と結婚できなかったと父親と私の前で言っていた。母親のアルバムにはその一番らしき人へ宛てたもう男遊びはしませんという謝罪の言葉があった。

私は何者なのだろう。「出来ちゃった子」と言えれば楽なのだが、あまりにも辛すぎて出来ない。