がんばってます

一人がいいという時もある

しつこくされるのが厭だ。

私は基本的に断らないし、それも寧ろありがとうみたいに言うから、いざ断る時には全然相手が引き下がってくれないことが多い。

これをされた時に本当に気分が悪くなる。普段急がないのに何で今日は急ぐの?なんて平気で言う。ちょっと遅くたって良いじゃん、とか。

酔って少し強引になってしまったとかそういうのなら良い。でも、生来的にそういう人間がいる。多少強引な方が決定力があってカッコイイだろ、と思っている奴だとか、自分を貫くことがダイジだとか、そんなことを思っている。私には理解が難しい。

私は一人っ子だから、マイペースみたいなところはあるのかもしれないけれど、一度断ったらもう直ぐに引き下がって欲しい。そういう世の中になって欲しい。

些細なこと

今日、「君は将来老人ホームで「自分のことは誰も分かっちゃくれない」と言ってるお婆さんになりそうだね」と言われた。

めっちゃムカつく。何でこんなにムカつくのだろうか。

優しい人でありたいのに将来そうなる可能性があるのが悔しいのか、優しいと言ってくれなかったことに苛立ったのか、いや、

普通に失礼だからムカついたのかもしれない。

絶対私は「イジる」だとかで、失礼なことは言わない。今日そう誓った。

ばかもの

よく、なんで??こんなんそれ確定だったじゃん、確定の演出だっただろ、何で違うん?って時ある。

そう言う時大抵相手は、そんなつもりなかった、何も考えていなかった。と言う。

何も考えてないことあるかァ!!!と思っていたけれど、実際今日その立場になって、私は何も考えていなかった。

強いて言うならその方が楽しいと思ったから、用事があったから、そんなことでしかない。

誰かが想像し得る大層な感情や理由づけなんて何も無かった。

だから、このように何も考えていないと気付いたときには、もっと何も考えていないようにしなければならない、と思った。

何の違和感も欠点も伏線も言い淀みも無い馬鹿でいなければならないと思った。

じばくにゃんこ

過去の傷付けた、傷付いたをあまり忘れることができない。

 

本を読んでいた。

デスクライトは私の部屋には無く、部屋の蛍光灯では寝る前に本を読むには少し明るすぎると思った。

そんなことを考えていたら、ふと、昔テーブルランプを貰ったことを思い出した。ガラスの、手作りの。

私は諸事情というか理由があって、それを一度も使うことは無かった。実家には置いてあるけれど。

その事を思い出したら、もうその前後のことも全て思い出して、本を読むのを止めてしまった。

胃が痛い。

なんて私は酷い人間なのだろう。

そうやって無為にまた精神が衰弱していく。

何がどうなったって、また顔を合わせる事はないだろうに、きっと顔も見たくないだろうと、気を落として、私は馬鹿なんだ。

 

それとは別で、先日。仕事終わりに先輩の試験合格のお祝いに飲みに行って、それで酔っ払った勢いで昔の友人に会いたいなどと送ってしまった。

高校の時の一番の友人と思っていたその人からは返事は来なかった。

その人のInstagramのストーリーには私の知らない友達と、それと私のよく知っている友達と、すごく楽しそうにしていたのが見えた。

 

どうしてだろう、何故こんな気持になっているのだろう。今だって友人はいるし、仕事だって頑張ってしているのに。

 

忘れられないというよりも、反芻思考の中でどんどん刺青みたいに神経の奥へ奥へ押し込まれて、ずっと脅されているような感じだ。

早く解放されたいと思っているけれど、その時は夢も見ずに眠っている時と死ぬ時だ。

 

そういえば、読んでいた本のコラムに、「誰かに恋をする」と「誰かと恋をする」の違いについて書いてあった。

私は何においても「ト」に永遠に憧れて、このままなんだろう。

 

歌詞になったら良いと思う

まるで夢みたい

自分の家の天井を見て絶望するところまで

なんで泣いてるのってそりゃあ

またおんなじ夢は見れないから

吐きそうなくらい苦くてしょっぱい口の味は私が誠実じゃないことの罰だ

あの日から僕は誰かへの責任に従うだけ

ぼくは何ももう選べない

必要なのはそれだけだったから

孤独

ひとりぼっちだ。

誰も私に興味なんかなくて、僕のことなんか何も分かっちゃいない。

そう思うけれど、実のところそんな暗く冷たいところにいる訳ではないことは、本当は分かっている。

誰にも興味を持たれていないと自称しつつも、SNSをして、LINEをして、投稿やら会話やらをして既読やいいねを貰う。それのどこが孤独なのか、という話だ。

でも、ひとりぼっちに感じる。

それは、目の前の相手と体が混ざり合って、血が通いだして、一つになるみたいな、そんな感覚を久しく味わっていないからだ。

相手の体液をこちらにぶちまけられるか、油な僕が水の中に無理やり突っ込んでいくか、それとも反対に私の方が、満腹の相手にご飯を作り続けているか、最近の日々はそんな感じだ。

会話をしなくとも、背中を合わせて、体温を感じるみたいな、そんなことも無い。

なにもない。

今日もベランダでぼーっと外を見ていた。

電車の中にはこんな夜でも人がたくさん詰め込まれている。

電車の中にいる人も僕と同じだろう。

誰かがいても確かに独りだ。

生ぬるくて、でも少し涼しい風が、偶に僕の体を通り過ぎて何か言っている。